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日本人で初めて宇宙へ行った人物として知られているのが、ジャーナリストの秋山豊寛さんです。

秋山さんが宇宙へ飛び立ったのは1990年12月2日。

当時TBSの記者だった秋山さんは、TBSが企画した「宇宙特派員計画」に参加し、旧ソ連のソユーズTM-11で宇宙へ向かいました。

宇宙ステーション「ミール」に滞在しながら、地球の様子を日本へ伝えた秋山さんは、単に宇宙へ行っただけではなく、「ジャーナリストが宇宙から現地を伝える」という新しい形の報道にも挑戦しました。

この記事では、秋山豊寛さんのプロフィールや経歴、宇宙飛行までの道のり、話題になった「これ本番ですか?」という言葉、さらに宇宙飛行後の活動まで詳しく紹介します。

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秋山豊寛のプロフィール

項目内容
名前秋山豊寛(あきやま・とよひろ)
生年月日1942年6月22日
出身東京都
職業ジャーナリスト、宇宙飛行士
元所属TBS
宇宙飛行1990年12月
搭乗宇宙船ソユーズTM-11
滞在先宇宙ステーション「ミール」
宇宙飛行回数1回

JAXAは、秋山さんについて「日本人で初めて宇宙へ行った人」と説明しています。

1990年12月2日に旧ソ連のソユーズTM-11で宇宙へ向かい、ミールに滞在。地球の映像を撮影し、日本へ生中継した「初の日本人宇宙特派員」とされています。

ここで混同されやすいのが、毛利衛さんとの違いです。

毛利衛さんが日本人として宇宙へ行ったのは1992年ですが、これはNASAのスペースシャトルによる宇宙飛行でした。

つまり、

日本人として初めて宇宙へ行った人物=秋山豊寛さん

日本人として初めてNASAのスペースシャトルに搭乗した人物=毛利衛さん

という違いがあります。

この点は、秋山さんを調べる際に非常に重要なポイントです。

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秋山豊寛はなぜ宇宙へ行くことになった?

秋山さんが宇宙へ行った背景には、TBSの大規模なプロジェクトがありました。

TBSは創立40周年を記念する事業として、旧ソ連と協力した「日ソ共同宇宙飛行」を企画。

その中心となったのが、記者を宇宙へ送り、宇宙から取材・報道するという画期的な試みでした。

当時は現在のように民間人が宇宙へ行くことが一般的ではありません。

しかも、秋山さんはもともと宇宙飛行士として採用された人物ではなく、報道記者でした。

そのため秋山さんの宇宙飛行は、

「宇宙飛行士が地球を研究する」のではなく、「ジャーナリストが宇宙から地球を伝える」

という点に大きな特徴があります。

TBSの資料でも、秋山さんは「日本人初の宇宙飛行士」として紹介され、宇宙からの報道を行った人物として記録されています。

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約1年間に及んだ宇宙飛行士訓練

宇宙へ行くことが決まったからといって、すぐにソユーズへ搭乗できたわけではありません。

秋山さんは旧ソ連で宇宙飛行に必要な訓練を受けました。

同じTBS宇宙特派員計画では、秋山さんのバックアップクルーとして菊池涼子さんも訓練を受けています。

JAXAの資料によると、訓練はモスクワ近郊の「星の街」で行われ、ロシア語による訓練や、帰還時の緊急事態を想定した訓練なども実施されました。

つまり秋山さんは「記者だから宇宙へ行けた」のではありません。

宇宙飛行を実現するため、宇宙飛行士に準じた厳しい訓練を受けたうえで、実際のソユーズに搭乗しています。

1990年12月2日、日本人初の宇宙飛行へ

そして1990年12月2日。

秋山豊寛さんはソユーズTM-11に搭乗し、宇宙へ飛び立ちました。

向かった先は宇宙ステーション「ミール」。

ここで秋山さんは、地球の映像を撮影しながら、日本へ向けて宇宙からの報道を行いました。

JAXAによれば、秋山さんは地球の映像を撮影し、生中継した初の日本人宇宙特派員です。

当時の日本にとって、テレビ画面を通じて日本人が宇宙から直接伝える映像は非常に大きな出来事でした。

現在では宇宙飛行士によるSNS発信やライブ映像なども珍しくありません。

しかし1990年当時、秋山さんの試みはまさに先駆的なものでした。

「これ本番ですか?」が有名になった理由

秋山豊寛さんについて語られるとき、必ずといっていいほど登場するのが、

「これ本番ですか?」

という言葉です。

宇宙からの第一声として知られるこの一言は、秋山さんの宇宙飛行を象徴するエピソードになっています。

宇宙へ到達した瞬間、世界中の注目が集まるような歴史的な場面で、テレビ中継を意識したとも受け取れるこの言葉が飛び出したことで、大きな話題となりました。

現在でもTBSの秋山さんに関するアーカイブ記事では、この「これ本番ですか?」という第一声が紹介されています。

宇宙飛行という壮大な出来事の中で、どこか記者らしい現実感のある一言だったことも、長く記憶されている理由の一つといえるでしょう。

宇宙から見た地球が、その後の人生に影響

秋山さんの宇宙飛行は、帰還して終わりではありませんでした。

宇宙から地球を見た経験は、その後の人生にも大きな影響を与えています。

TBSの特集では、秋山さんが宇宙から地球を見た経験を通して環境問題について考えるようになったことが紹介されています。

宇宙から見る地球には、国境線が見えるわけではありません。

一つの惑星として地球を見るという経験は、ジャーナリストとしての秋山さんの視点にも影響を与えたと考えられます。

その後、秋山さんは農業にも取り組むようになり、宇宙・環境・食・人間の暮らしといったテーマへ活動の幅を広げていきました。

秋山豊寛は宇宙飛行後に農業へ

秋山さんの経歴で興味深いのは、宇宙飛行後に農業へ転身したことです。

TBSの過去の特集によると、秋山さんは宇宙飛行から5年後に福島県で農業を始めました。

「日本人初の宇宙飛行」という華々しい経歴を持ちながら、その後は土に触れる生活へと進んだことになります。

宇宙から地球全体を見た人物が、今度は地上で自然や農業と向き合う。

この大きな方向転換こそ、秋山さんの人物像を理解するうえで重要なポイントです。

宇宙飛行だけを切り取るのではなく、その経験をその後の生き方につなげた点に、秋山さんのキャリアの特徴があります。

秋山豊寛と環境問題の関係

秋山さんは宇宙飛行をきっかけに、環境問題についても発信してきました。

TBSの特集では、宇宙から地球を見た秋山さんが「地球は病んでいる」と語ったことが紹介されています。

地上から見ると、国や地域、都市などの違いが目につきます。

しかし宇宙から見る地球は、一つの惑星です。

秋山さんにとって宇宙飛行は、単なる人生最大のイベントではなく、「地球とは何なのか」を考えるきっかけにもなったといえるでしょう。

秋山豊寛が現在まで注目される理由

秋山豊寛さんが現在も検索され続ける理由は、単に「日本人初」という肩書だけではありません。

その経歴には、いくつもの珍しい要素があります。

・TBSの現役記者として宇宙へ行った
・日本人として初めて宇宙飛行を経験した
・宇宙ステーション「ミール」に滞在した
・宇宙からテレビ中継を行った
・第一声の「これ本番ですか?」が有名になった
・宇宙飛行後に農業へ活動の軸を移した
・宇宙から見た地球をきっかけに環境問題を考え続けた

特に注目したいのは、「宇宙へ行ったこと」そのものよりも、その経験を人生の後半にどう生かしたかという点です。

宇宙飛行士、ジャーナリスト、農業、環境問題。

一見すると異なる分野ですが、秋山さんの場合は「地球を外から見た経験」が、それぞれの活動をつなぐ軸になっています。

まとめ|秋山豊寛は「日本人初」だけでは語れない人物

秋山豊寛さんは、1990年12月2日に日本人として初めて宇宙へ行った人物です。

ただし、その功績は「日本人初」という記録だけではありません。

TBSの記者として宇宙へ向かい、ミールから地球を撮影して日本へ伝えた秋山さんは、ジャーナリストとして宇宙から報道するという新しい道を切り開きました。

「これ本番ですか?」という印象的な第一声も、秋山さんの宇宙飛行を象徴するエピソードとして知られています。

さらに宇宙飛行後には農業や環境問題にも関わり、宇宙から見た地球という経験を、その後の生き方へつなげていきました。

そのため秋山豊寛さんについて調べる際には、「日本人初の宇宙飛行士」という肩書だけでなく、

「記者として宇宙へ行った人物」

「宇宙から地球を伝えた人物」

「宇宙飛行を、その後の環境や農業への活動につなげた人物」

という3つの視点から見ると、その人物像がより分かりやすくなります。

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