柔道男子90キロ級で元日本代表の増山香補選手が、モンゴル国籍を取得し、モンゴル代表として世界の舞台を目指すことを発表しました。
2026年8月28日に本人がSNSで明らかにしたもので、日本人の両親のもとに日本で生まれた増山選手にとって、大きな転機となる決断です。
「なぜモンゴルなの?」
「モンゴルにルーツがあるの?」
「日本代表ではなく、なぜ国籍まで変えるの?」
このように疑問を持った人も多いのではないでしょうか。
結論からいうと、増山選手自身は、モンゴルにルーツがあったから国籍を取得したわけではありません。
学生時代から続くモンゴルとの縁をきっかけに、モンゴル柔道連盟から新たな挑戦の機会を提示され、現地で関係者と交流する中で、「この環境で世界一になる」と覚悟を決めたことが大きな理由だったようです。
この記事では、増山香補選手がモンゴル国籍を取得した理由や、これまでの柔道人生、そして今後の代表活動について詳しくまとめます。
増山香補がモンゴル国籍を取得した理由は?

増山香補選手がモンゴル国籍を取得した最大の理由は、もう一度、世界の頂点を目指すための新たな環境を選んだことです。
本人の説明によると、モンゴル国籍取得には、次のような背景がありました。
モンゴル柔道連盟から挑戦の機会をもらった
増山選手は、自身にモンゴルのルーツがあるわけではないことを明かしています。
それでもモンゴルとの縁が生まれたのは、学生時代から続く交流がきっかけだったとのこと。
その縁を通じて、モンゴル柔道連盟から新たな挑戦の機会をもらったことが、今回の決断につながりました。
単純に「日本代表になれなかったからモンゴルへ移った」という話ではなく、本人が現地の関係者と直接会い、競技者として真剣に向き合ってもらったことがポイントだったと考えられます。
増山選手は、その環境を見たうえで、
「この環境で世界一になる」
という覚悟を決めたと説明しています。
「五輪王者になる」という目標を諦めていない
もう一つ大きいのが、オリンピックで頂点に立つという目標です。
増山選手は今回の決断について、世界王者、そして五輪王者になるための道だと明言しています。
つまり、今回の国籍変更は単なる所属先の変更ではありません。
これまで日本柔道で培ってきた経験を背負いながら、別の環境から再び世界一を目指すための大きな決断だったといえます。
増山香補はモンゴルにルーツがある?
ここは今回、特に誤解されやすいポイントです。
結論として、増山香補選手本人は「モンゴルにルーツがあるわけではない」と説明しています。
増山選手は日本人の両親のもと、日本で生まれました。報道によると東京都千代田区出身で、1999年3月9日生まれです。
そのため、
「もともとモンゴル人だったのでは?」
「親がモンゴル出身なのでは?」
といった理由で国籍を取得したわけではありません。
今回のケースは、モンゴルとの競技上の縁と、新たな挑戦の機会をきっかけに本人が選択した国籍変更という点が特徴です。
なぜ日本代表ではなくモンゴル代表なの?
この疑問を理解するには、増山選手のこれまでの競技人生を見る必要があります。
増山選手は7歳から柔道を始め、修徳高校、明治大学へ進学。
男子90キロ級で頭角を現し、2018年にはシニアの国際大会で優勝。2019年の世界ジュニア選手権では90キロ級5位となっています。全日本柔道連盟の記録でも、当時から国際舞台で戦っていたことが確認できます。
その後、2021年と2022年には世界選手権の団体戦代表として日本の優勝に貢献。
さらに2022年のグランドスラム東京では優勝するなど、90キロ級のトップ選手として活躍しました。
一方で、その後は思うように五輪への道を切り開くことができませんでした。
増山香補に何があった?日本代表時代の経歴
増山選手は2023年の世界選手権代表にも選ばれていました。
しかし、同年2月の国際大会で計量失格となり、全日本柔道連盟の規定によって強化指定選手から外れる処分を受けています。
その結果、世界選手権代表の座も失うことになりました。
その後は100キロ級へ転向するなど、新たな可能性を模索。
しかし2024年のパリ五輪出場には届かず、その後は再び90キロ級へ戻っています。
そして2026年6月には、5年間所属したパーク24を退社。
そこから今回、モンゴル代表として新たな道へ進むことを決断しました。
こうした経緯を見ると、今回の決断は突然思いついたものというより、競技人生の中で何度も進路を模索してきた末の選択と見ることができます。
増山香補がモンゴルを選んだ「本当の理由」
では、結局なぜモンゴルなのでしょうか。
本人の発表から読み取れる理由を整理すると、大きく3つあります。
① モンゴル柔道連盟から挑戦の機会を得た
まず直接的なきっかけとなったのが、モンゴル柔道連盟から声をかけられ、新たな挑戦の機会を得たことです。
本人によれば、学生時代から続くモンゴルとの縁があり、それが今回の話につながりました。
② 「この環境で世界一になれる」と感じた
増山選手は、現地でモンゴルの関係者と直接会い、競技者として真剣に向き合ってもらったことで、モンゴル代表として戦う覚悟を固めました。
重要なのは、単に代表になりやすい国を選んだという本人の説明ではないことです。
本人は「この環境で世界一になる」という思いを示しています。
③ 限られた競技人生で、もう一度世界一を目指したい
そして最も大きいのが、競技人生には限りがあるという考えです。
増山選手は、これまで日本柔道で多くの指導者や仲間に支えられたことへの感謝を示したうえで、それでも自分の心に正直に生きたいという趣旨を語っています。
つまり、
「日本を離れたい」のではなく、「もう一度、世界の頂点を目指すために自分で道を選んだ」
というのが、今回の決断を理解するうえで重要なポイントでしょう。
増山香補は日本を捨てた?本人の考えは違う
国籍変更という言葉だけを見ると、
「日本を捨てたのでは?」
と感じる人もいるかもしれません。
しかし、本人の発表を見る限り、そうした考えとはむしろ逆です。
増山選手は、日本人の両親のもと日本で生まれ、日本柔道に育ててもらったことを強調しています。
そして今回の決断についても、これまで日本で培ってきたものを背負って世界に挑戦するためのものだと説明しています。
さらに、将来的には日本とモンゴル、そして世界をつなぐ架け橋になりたいという思いも示しています。
そのため、今回の国籍変更を「日本への否定」とだけ捉えるのは、本人の意図とは異なる可能性が高いでしょう。
増山香補はいつからモンゴル代表として出場する?
気になるのが、実際にモンゴル代表として試合に出る時期です。
2026年8月28日の報道によると、IJF(国際柔道連盟)のルールなどにより、モンゴル代表としての大会出場は2027年4月以降になる見込みです。
したがって、国籍取得を発表したからといって、すぐにモンゴル代表として国際大会に出場するわけではありません。
今後は、代表資格や大会スケジュールなどを確認しながら、正式にモンゴル代表として国際舞台へ戻っていくことになります。
増山香補の今後は?五輪出場の可能性にも注目
増山選手自身が掲げている目標は明確です。
世界王者、そして五輪王者になること。
日本代表として世界選手権や五輪を目指してきた選手が、モンゴル代表として再び世界の頂点を目指すという異例の挑戦だけに、今後の動向には大きな注目が集まりそうです。
特に注目されるのは、
- モンゴル代表として最初に出場する国際大会
- 90キロ級での戦い
- モンゴル国内での代表争い
- 世界選手権への出場
- 2028年ロサンゼルス五輪への道
といった点でしょう。
現時点では2028年五輪への出場が決まったわけではありません。
しかし、本人が「五輪王者」を明確な目標として掲げている以上、今後は**「モンゴル代表として五輪を目指せるのか」**という点も大きな関心事になりそうです。
まとめ|増山香補がモンゴル国籍を取得した理由
今回は、増山香補選手がなぜモンゴル国籍を取得したのか、その理由と背景をまとめました。
ポイントを整理すると、
- 増山香補選手は2026年8月28日にモンゴル国籍取得を発表
- モンゴルにルーツがあるわけではない
- 日本人の両親のもと日本で生まれた
- 学生時代から続くモンゴルとの縁があった
- モンゴル柔道連盟から新たな挑戦の機会を得た
- 現地の関係者と交流する中で「この環境で世界一になる」と決断
- 日本代表時代には世界選手権団体優勝などの実績がある
- 2023年には計量失格によって強化指定を外れ、代表も剥奪された
- 100キロ級への転向なども経験したが、パリ五輪出場には届かなかった
- 2026年6月にパーク24を退社
- 今回は「もう一度世界の頂点を目指す」ための新たな挑戦
- モンゴル代表としての国際大会出場は2027年4月以降になる見込み
今回の国籍変更は、単純に「日本代表を諦めた」という話ではありません。
むしろ、これまで日本柔道で培った経験を背負いながら、限られた競技人生の中でもう一度世界一を目指すため、自ら新しい道を選んだ決断といえそうです。
モンゴル代表として実際に畳に上がるまでにはまだ時間がありますが、増山香補選手が新天地でどのような柔道を見せるのか、今後の動向に注目が集まります。