同じ苗字の俳優ふたり――その背景には、幕末から続く驚きの一族史があった
ドラマや映画で活躍する俳優・賀来賢人と、80年代から第一線を走り続ける女優・賀来千香子。同じ「賀来」という珍しい苗字を持つふたりは、実は叔母と甥の間柄です。
しかも、この賀来家の家系を掘り下げると、幕末の大砲鋳造から芸能界まで、時代を超えた"すごい一族"の全貌が見えてきます。
関係図とともに、徹底解説します。
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賀来賢人と賀来千香子の関係図:結論は「叔母と甥」
「賀来賢人と賀来千香子はどんな関係?」——検索してこのページに辿り着いた方の多くが、まずこの疑問を持っているはずです。
答えを先にお伝えすると、ふたりは叔母(おば)と甥(おい)の関係です。

賀来千香子の兄(賀来稔晴さん)の次男として生まれたのが賀来賢人です。
つまり、賀来千香子にとっては「兄の息子=甥」、賀来賢人にとっては「父の妹=叔母」という関係になります。
賀来賢人のデビューに"叔母の縁"があった
「コネ入りではないか?」と気になる方も多いかもしれません。実際のきっかけはこうです。
賀来千香子の事務所関係者が、たまたま賀来千香子の家族写真を見たことで、そこに写る若き賀来賢人を発見。「この子に連絡してほしい」と名刺を渡し、賀来賢人本人が自らその事務所に連絡を取ったことでデビューが実現した。
積極的に「売り込んだ」わけでも、ゴリ押しがあったわけでもなく、あくまで「写真の中に映っていた」という偶然がきっかけです。
叔母・賀来千香子はきっかけを作っただけであり、実力でキャリアを積み上げてきたのが賀来賢人という俳優です。
共演NGの理由とは?
テレビ朝日「徹子の部屋」に出演した際、賀来千香子は「甥なので、身内だと恥ずかしいですよね」と発言。
芸能界で唯一「共演NG」と決めている相手が甥の賀来賢人だと明かされ、その正直な理由が話題を呼びました。
仲が悪いのではなく、あくまで「照れ」ゆえのNGなのです。
ふたりのプロフィール:どこが似ていてどこが違う?

賀来千香子(かく ちかこ)
叔母(おば)
生年月日:1961年10月17日
出身:東京都
身長:165cm
デビュー:1979年・高3時に原宿でスカウト
代表作:「抱きしめたい!」など多数

賀来賢人(かく けんと)
甥(おい)
生年月日:1989年生まれ
出身:東京都
学歴:暁星小学校〜高校(名門私立)
結婚:2016年・榮倉奈々と
代表作:「今日から俺は!!」など
ふたりに共通するのは、類い稀な存在感と"似ている顔立ち"です。
ファンの間でもたびたび「目元が似ている」と指摘されますが、これは単なる偶然ではありません。
賀来千香子の祖母・賀来ヨシ子さんに賀来賢人が似ているとも言われており、賀来家の血の濃さを感じさせます。
賀来家の家系図が"伝説級"な本当の理由
叔母と甥という関係だけでも十分注目されるのに、賀来家の家系図を掘り下げると、さらに驚くべき事実が浮かび上がります。
ルーツは12世紀・大分の名族
賀来(加来)氏は、12世紀に現在の大分県大分市賀来の地(豊後国賀来荘)を本貫とした一族です。
源平の時代からこの地に根を張り、大友氏とともに歴史を刻んできた由緒ある一族でした。
幕末の"民間大砲鋳造"に成功した先祖・賀来惟熊
賀来家の中でも特に注目すべき先祖が、幕末の実業家・賀来惟熊(かく これたけ)です。
・安政2年(1855年)
佐田神社の境内に反射炉が築かれ、薩摩藩主島津斉彬が薩摩藩初の反射炉を完成させる2年前のことでした。
賀来惟熊は民間人として、諸藩に先んじて大砲鋳造を成し遂げたのです。
・資金も技術援助もなし
島原藩からの許可は得られたものの、資金援助や技術供与はなく、4人の息子や従弟の賀来飛霞をはじめとする賀来一族の苦心の末に完成させました。
・大正13年(1924年)
没後44年の大正13年、幕末の海防強化に貢献した人物の一人として贈従五位の恩典を受け、その功績が国家レベルで認められました。
賀来千香子や賀来賢人も、豊前佐田の賀来氏の流れであり、賀来惟熊の子孫にあたります。
現代のスクリーンで輝くふたりの俳優の血筋には、幕末に国を守った民間人の意志が流れているとも言えます。
父・賀来稔晴の経歴もただ者ではない
賀来賢人の父・賀来稔晴さんは一般人ですが、その経歴は驚くべきものがあります。
賀来千香子と漫画家のさくらももこさんはとても親交が深く、そのことがきっかけで、賀来賢人の父親はさくらプロダクションへ転職したと言われています。
かつてはクレジットカード会社で有名な大企業「クレディセゾン」で働いており、セゾングループを立ち上げた元代表取締役社長、堤清二さんの秘書を務めていたというエリートです。
その後、さくらプロダクションの重役へ転じるという、まさにドラマのような転職歴の持ち主です。
賀来一族のつながり——つるの剛士との意外な縁
歌手・タレントのつるの剛士も母方が賀来氏の流れにあることも知られています。
芸能界に限らず、賀来という苗字には日本の近現代史を彩ってきた人々が連なっているのです。
大分・宇佐市には今も史跡が残る
現在も佐田地区には賀来惟熊の功績を示す史跡が数多く残っており、賀来惟熊碑・墓、佐田神社両部鳥居、耐火煉瓦塀、反射炉跡、賀来家屋敷跡(石垣)などを見ることができます。賀来賢人や賀来千香子のルーツを感じたい方は、大分・宇佐市を訪れてみるのもひとつの楽しみ方かもしれません。
家族仲の良さが生み出す"賀来家らしさ"
賀来千香子は賀来賢人の父親との兄妹仲が良いのはもちろん、母親(賀来千香子にとっての義理の姉)とも一緒にコンサートに行くほど仲良しだそうです。
賀来賢人はかなりのおばあちゃん子で、現在もメールのやりとりをよくしており、出演したドラマや映画の感想を送ってきてくれたりするそうです。
豪華なだけでなく、温かみあふれる家族像が浮かび上がります。
また、高校生の頃は家族と口も利かない反抗期があり、特に兄とは5〜6年不仲が続いたが、親戚の結婚式をきっかけに和解。
今では兄とふたりで食事に出かけることもあるというエピソードも、どこかリアルで親しみやすいですね。
この記事のまとめ
- 賀来賢人と賀来千香子は叔母(千香子)と甥(賢人)の関係
- 賀来千香子の事務所関係者が偶然・家族写真で賢人を見つけたことがデビューのきっかけ
- 「共演NG」は不仲ではなく、身内ゆえの"照れ"から
- 賀来家のルーツは大分・豊後の名族。12世紀から続く由緒正しい一族
- 先祖・賀来惟熊は幕末に民間初の反射炉で鉄製大砲鋳造を成功させた
- 父・賀来稔晴はクレディセゾン役員秘書→さくらプロダクション役員のエリート
- 歌手・つるの剛士も母方に賀来氏の血を引く
- 家族仲は非常によく、祖母とのメールのやりとりも続く温かい一家
「賀来」という同じ苗字の背景には、幕末から現代まで続く誇り高き一族の物語がありました。賀来千香子と賀来賢人——ふたりの俳優が輝くスクリーンの向こうには、大分の地から始まった数百年の歴史が息づいています。
※本記事は公開情報をもとに構成しています。
最終更新:2026年5月