元阪神タイガースのドラフト1位選手で、北海道フロンティアリーグ「石狩レッドフェニックス」の監督を務めた的場寛一さん。
現役時代は阪神でプレーした後、社会人野球の名門・トヨタ自動車硬式野球部に移籍し、チームの日本選手権優勝などに貢献しました。
引退後は会社員や会社経営者として活動する一方、少年野球の指導にも携わり、2025年からは石狩レッドフェニックスの監督としてチームを率いてきました。
そんな的場寛一さんについて、「どのような経歴の持ち主なの?」「阪神時代はどんな選手だった?」「監督を退任した後は何をするの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、的場寛一さんのプロフィールや野球人生、指導者としての実績、2026年の監督退任について詳しく紹介します。
的場寛一のプロフィール!年齢や出身地、学歴は?

まずは、的場寛一さんの基本的なプロフィールをまとめました。
- 名前: 的場寛一(まとば・かんいち)
- 生年月日: 1977年6月17日
- 年齢: 49歳(2026年10月時点)
- 出身地: 兵庫県尼崎市
- 身長: 180cm
- 投打: 右投右打
- 出身大学: 九州共立大学
- 主な経歴: 弥富高校、九州共立大学、阪神タイガース、トヨタ自動車硬式野球部
- 主な肩書: 元プロ野球選手、元石狩レッドフェニックス監督
- その他の活動: 会社経営など
的場さんは、大学野球を経てプロ入りし、その後は社会人野球でも実績を残した人物です。
プロ野球選手としてのキャリアだけでなく、企業での勤務経験や野球指導者としての活動など、幅広い経歴を持っています。
なお、所属先や肩書は時期によって変わるため、現在の活動を確認する際は、球団や本人に関する最新の公式情報を確認することが大切です。
的場寛一は元阪神のドラフト1位!プロ入りから退団まで
的場寛一さんの野球人生を語るうえで欠かせないのが、阪神タイガースでの経験です。
1999年に阪神タイガースからドラフト1位指名
的場さんは九州共立大学でプレーした後、1999年のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受けて入団しました。
ドラフト1位という評価からも、当時の的場さんが大きな期待を寄せられていたことがうかがえます。
しかし、プロの世界では故障に苦しみ、思うように実力を発揮できない時期もありました。
プロ野球選手として活躍するためには、技術だけでなく、継続してプレーできる身体の状態を維持することも重要です。
的場さんにとって阪神時代は、期待を背負ってプロの世界に挑戦する一方、故障という壁にも向き合った時期だったといえるでしょう。
2005年オフに阪神を退団
的場さんは2005年オフに阪神を退団しました。
プロ野球の世界では、実力があっても故障や出場機会など、さまざまな要因によってキャリアの転機を迎えることがあります。
的場さんも阪神での経験を経て、次の野球人生を考えることになりました。
その後、2006年からトヨタ自動車硬式野球部に所属し、社会人野球の舞台で再びプレーすることになります。
プロ野球から社会人野球へと活動の場を移したことは、的場さんの経歴における大きな転機でした。
的場寛一はトヨタ自動車でも活躍!社会人野球での実績
阪神退団後の的場さんは、トヨタ自動車硬式野球部でプレーしました。
社会人野球は、企業に所属する選手たちが高いレベルで競い合う舞台です。プロ野球とは異なる環境ですが、全国大会などで実績を残すには、高い技術とチームとしての力が求められます。
的場さんは移籍後、トヨタ自動車の主力選手の一人として活躍しました。
主な実績として知られているのが、社会人野球日本選手権での優勝です。
トヨタ自動車は2007年に初優勝を果たし、2008年には連覇を達成。2010年にも優勝し、的場さん自身もチームの躍進に貢献しました。
また、2009年の都市対抗野球大会では、チームが創部以来初めて決勝に進出し、的場さんは優秀選手にも選出されています。
さらに、2011年には野球ワールドカップ日本代表に選ばれました。
阪神での経験を経て、社会人野球でも結果を残した的場さん。プロ野球のキャリアだけでは語りきれない実績を持っていることが分かります。
2012年に現役引退
的場さんは2012年限りで現役を引退しました。
阪神でのプロ生活を経て、トヨタ自動車で約7年間プレーした的場さんは、社会人野球でも多くの経験を積みました。
引退後は企業の人事部門などで働き、会社員としての経験も重ねています。
その後は会社経営やスポーツ関連の活動などにも取り組み、野球選手とは異なる立場からも社会と関わるようになりました。
的場寛一は野球指導者としても活動!少年野球から独立リーグへ
現役引退後の的場さんは、選手として培ってきた経験を生かし、野球指導者としても活動してきました。
2021年に少年野球の指導に携わる
的場さんは2021年、埼玉県戸田市のブリングアップベースボールアカデミーで少年野球の指導に携わりました。
プロ野球や社会人野球で経験を積んだ選手が、次世代の育成に関わることには大きな意味があります。
自らが経験してきた練習や試合、故障と向き合った経験などを、若い選手たちに伝えられるからです。
的場さんの場合も、現役時代に得た知識や経験を、子どもたちの成長を支える活動につなげてきました。
2022年に石狩レッドフェニックスのコーチに就任
2022年には、北海道フロンティアリーグに所属する石狩レッドフェニックスに臨時コーチとして加わりました。
その後、2024年には野手総合コーチを務め、チームの指導に本格的に携わるようになります。
石狩レッドフェニックスは、北海道を拠点に活動する独立リーグの球団です。
独立リーグは、プロ野球を目指す選手や、さらなる成長を目指す選手たちが実戦経験を積む場でもあります。
指導者には、選手の技術向上だけでなく、チームづくりや試合での判断、選手それぞれの能力を引き出す働きかけも求められます。
プロ野球と社会人野球の両方を経験した的場さんにとって、これまでの知識を指導に生かす機会になったと考えられます。
2025年に石狩レッドフェニックスの監督へ就任
的場さんは2025年、石狩レッドフェニックスの監督に就任しました。
監督としてチームを率いる立場になり、選手の起用や試合運びなど、チーム全体を見渡した判断が求められるようになりました。
就任当時のインタビューでは、新しい立場で考えることの多さや、監督としての挑戦について語っています。
選手として結果を残すことと、指導者としてチーム全体の結果を目指すことは、求められる役割が異なります。
的場さんは、選手としての経験に加え、企業勤務などで培った社会人としての経験も重ねながら、監督としてチームを率いてきました。
的場寛一監督の実績は?石狩レッドフェニックスでリーグ優勝
的場さんが監督を務めた石狩レッドフェニックスは、2025年と2026年にリーグ戦1位とチャンピオンシップ優勝を達成しました。
2025年はリーグ戦で1位となり、チャンピオンシップでも優勝。2026年も同様にリーグ戦1位とチャンピオンシップ優勝を果たしました。
さらに、2026年のグランドチャンピオンシップでは、北海道勢として初めて勝利を挙げています。
ただし、同大会では準決勝で敗れており、全国の独立リーグ王者などが競う大会での日本一には届きませんでした。
それでも、2年連続でリーグ戦とチャンピオンシップを制したことは、監督としての活動を振り返るうえで重要な実績です。
的場さん自身も退任時のコメントで、選手たちが困難を乗り越えながら戦ったことへの誇りや、関係者・ファンへの感謝を述べています。
結果だけでなく、選手たちと日本一を目指して取り組んだ経験を大切な財産として挙げている点も印象的です。
的場寛一が監督を退任!退任理由や今後の活動は?
2026年10月、的場寛一さんに関する大きなニュースが発表されました。
石狩レッドフェニックスは2026年10月19日、的場さんが2026年シーズンをもって退任すると公式サイトで発表しました。
退任理由は公表されている?
球団の発表では、2026年シーズンをもって退任することが明らかにされています。
ただし、退任の具体的な理由については、発表文で明確に説明されていません。
そのため、成績や球団との関係など、特定の事情が原因だったと断定することはできません。
退任の背景については、本人や球団から追加の説明があった場合に、改めて確認する必要があります。
監督として5年間、石狩レッドフェニックスに在籍
的場さんは2022年にコーチとしてチームに加わり、2025年から2026年まで監督を務めました。
コーチとして3年間、監督として2年間の計5年間にわたり、石狩レッドフェニックスの指導に携わったことになります。
退任時のコメントでは、チーム関係者やスタッフ、スポンサー、ファンへの感謝を伝えています。
また、選手たちと本気で日本一を目指して戦えたことを、自身にとってかけがえのない財産と振り返りました。
監督としての2年間には、リーグ戦1位とチャンピオンシップ優勝を2年連続で達成。2026年にはグランドチャンピオンシップでも勝利を収めています。
こうした実績を残したうえで、石狩レッドフェニックスでの指導者生活に一区切りをつけることになりました。
退任後の仕事や次の所属先は?
2026年10月25日時点で、今回確認した球団公式発表や報道では、的場さんの退任後の所属先や次の監督・コーチ就任について、確定した情報は確認できませんでした。
的場さんはこれまで、プロ野球選手、社会人野球選手、会社員、会社経営者、野球指導者と、さまざまな立場で活動してきました。
そのため、今後どのような分野で活動するのかにも関心が集まりそうです。
ただし、新たな就職先や指導先については、本人や関係団体から正式な発表がない限り、推測で紹介することは避ける必要があります。
最新情報を知りたい方は、石狩レッドフェニックスの公式サイトや、本人の公式SNSを確認するとよいでしょう。
的場寛一の指導方針は?現役時代の経験をどう生かしている?
的場さんの指導者としての歩みを理解するうえでは、現役時代の経験も重要です。
阪神時代には故障に苦しみ、その後は社会人野球で新たなキャリアを築きました。
一度プロ野球を離れた後も競技を続け、トヨタ自動車で全国大会の優勝や日本代表選出を経験しています。
こうした経験は、選手としての技術だけでなく、環境が変わったときにどう向き合うか、困難な状況でどのように挑戦を続けるかを考える材料にもなったはずです。
実際に、的場さんは監督就任時のインタビューで、指導者として新しい立場に挑戦する決意を語っています。
また、阪神時代の経験や、企業で働いた経験なども、現在までのキャリアを形づくる要素となっています。
ただし、指導方針の細かな内容については、本人の発言や公式資料で確認できる範囲に基づいて理解することが大切です。